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コンセプト

守破離(しゅはり)は、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方の一つ。
日本において左記の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想でもある。
まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、
自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。
最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、
自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。(Wikipediaより)

守破離とは簡単にまとめると『基本→応用→独自性』のこと。
この言葉をあまりご存知ない方も大勢いらっしゃると思いますが、幼少の頃から剣道をしていた私にとってはとてもなじみ深く、
今現在も自身の様々な取り組みを通じて独自の解釈をしながらも重んじて行動している大切な思想です。

これは守破離を爪切りの象徴として表現した作品です。(今回の作品は守がメインです。)

守ってくれていた膜が、カタチを変えてそこを破り、そしてそこから離れる。
自然な成長の過程であり、まるで爪のようだと私は感じるのです。

守って積み重ねて確立させたと思えばそれもプロセスとなってまた切り離す。
独自性を極めれば極めるほど、それもまたプロセスになり、それも切り離す。
それはそれとして成り立っているのにも関わらず……。

爪はずっと自分の表皮だったものが硬化したもの。つまり自分自身だったもの。
爪は生きる限り伸び続ける。
一日一日少しずつ少しずつ。
わからないくらい少しずつ。でも確かに伸び続ける。
そして、その伸びて余分に感じる爪を生きやすくするために切り続ける。

切るべき時に切るべきところまで切れば何の痛みもない。今必要な部分が変形することもあまりない。
痛覚が届かないほど自身から離れた存在にすでになっているということだ。
このまま共存すれば、自分や誰かを自分の手で傷つけてしまうかもしれない。
大切なモノを大切にするために切り続ける。

自分を守っていたもの(皮膚)がいつの間にか硬化して、自分にとって不要なものへ進んでいく。
自然の流れとして、そういう運命をもつ。
今切らなければと感じるその爪は皮膚でありずっと自分を守ってくれた大切な一部だった。
それが儚くも美しいプロセスの姿。
プロセスはいくら積み重ねてもプロセス。いくら美しく積み重ねてもそれ自体は目指すところの結果ではない。
でもプロセスからしか自力で結果を生み出すことはできない。
爪は私にとっては『作家にとっての作品』の様にも感じる。
結局は守も破も離も成り立っていても過程でしかなく、それはただのステージ。
極めるものによって違いはあれど、やはり人生の中での何かの完成は気づけばプロセスになっている。
そしてどのステージにいようが、この手から何かを作り上げるという行為に何も変わりない。

きっと守破離の道というものも爪を切る行為と同じくこの世に生きる限り果てしなく続くのだと思う。
一生繰り返し、進んでも一生通過地点であるのだろう。

夢はこの手で掴む! その為に手をぎゅっと掴みやすくあり続けることが必要なのだろう。
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